まぞさまがLokiの最後を締めくくってくれたので、自分はLokiの最初を振り返ってみる。
Loki鯖がオープンしたのは2002年3月4日の夜。10年と1ヶ月ちょい前だねぇ。
タイムスタンプが深夜4:45とかなってるけど、当時は確か昼と深夜にアルバイトの掛け持ちをしていたころだ。前日にLoki鯖はオープンしてたけど、その日は深夜のほうのバイトがあったのでそれが終わってからログインした。
生まれたのはフェイヨン。
見事にノビしかいない。そしてバグで本来あるはずの初期装備が何も無い。後にプロ西で通りすがりの素手アコ目標のノビさんから装備を譲ってもらったのを覚えている。
アルマ亭を使い始めたのはこれより少し前のはずだが、その間のSSが1枚もなかった・・・。
他に誰もいないアルマのカウンター内でなぜか蝉屋のヴォスと記念撮影している。いったいどういう状況だったのかさっぱり思い出せないが。
当時のカウンターは崖撃ち可能だったのでカウンター内からお帰りなさいヒールをするのがアルマ亭の日常だった。
フェイD前で並んでウェーブをする人たち。
当時VITとDPを上げて鈍器で敵を殴り倒すのがアコの主流だった。支援型などまぞさまでもやらないようなまぞい型として一部の廃だけに許された存在だった。しかしアコとしてはやはり本来の姿として支援型というのはあこがれるものであり、尊敬のまなざしで見ていたのを覚えている。
同様にポタ子という型すら存在した。ポタ関連スキルの前提やレベル上限が今とはぜんぜん違って、ポタLvをMAXにするだけで20ポイントか、それ以上のポイントが必要だった。そのせいで他のスキルを圧迫しすぎるせいでポタを取るとほとんどポタ専用キャラになってしまう。
しかしカプラ転送もない頃のため、ポタ屋という商売があり、プロ噴水北にある握手オブジェクトがある広場は、長いことポタ広場として日々賑わっていた。
かなりの賑わいを見せるアルマ亭。
ハットかぶって座ってる女剣士はたぶんZAEの人。
これも夜中の1時近いころだが・・・そんな時間にこれだけ賑わっていたとはなぁ。でも思い返せば当時は深夜の時間帯が一番活発だったかもしれない。みんな若かったと言うことか・・・。
今じゃこんな時間「仕事あるから寝なきゃ」な時間の人がほとんどだ。
誰が言い出したか、「ムナック見てみたい」ということで向かったフェイD3。思えば言い出したのは自分だったかもしれない。チャットログ見るとSS連写してるし。
「くっ」とかちょっとかっこよく苦戦してるのは某御犬様。
カウンターの中にいたお姉さんが間違いなく「アルマ」さんだった当時、主要メンバーで作ったPT、TeamAlma。PTの人数上限がまだ8人だったせいで入れない人も。後に上限が12人まで拡張される。
PTウィンドウの場所情報がプロンテラ内付となっている。内部、の間違いなのかはわからないが、懐かしき重力語のひとつ。
ちなみにアルマのスペルがAlmaになっているが、正式にはAhlmaだと後に知った。
TeamAlmaのみんなで超兄貴をたこ殴り。当時はまだ取り巻きもなく、今のような凶悪なATKでもなかった。そのおかげで回復剤を満載してみんなでたこ殴りにすればだいたいのボスは倒せたものだ。
ドロップの赤い色宝石なんて名前も懐かしい。今ではエメラルド、とかルビーとか名前がついてる宝石類も、当時は○色宝石という名前だった。横に落ちてる青箱も効果が実装されていなくてただのコレクションアイテムだったはず。
MVPエフェクトも古いものだ。当時のMVPエフェクトは数秒ほど該当キャラの上に表示されてたので、その間に動いてわかりやすくSSを取ったりすることも可能だった。
それはそうと所持アイテムがリボンだらけなのはなぜだろう・・・。
不定期で開催されていたじゃんけん大会。
効果が未実装のものも多く、アイテムの価値が主に実用性よりレア度で決まっていた当時、それらを景品にしばしばじゃんけん大会が開催された。ゴゴゴゴゴと燃えてる人もいるように、なかなか白熱する楽しいイベントであった。
当時のモンスターの中でも最強クラスのATKを誇ったお馬さんことナイトメア。武器にも敵にも属性とかなかったから武器はなんでも当たった。まだGD3が実装されていないころのことだったかな。
狩り効率を無視したこういう冒険的なツアーが当時はよくあったものだ。デスペナがまだ実装されていない時期だったのかもしれない。今じゃ1回死んだら○Mのデスペナ、なんて考えが先にたってしまうのがちょっと悲しいところ。
Loki鯖が生まれた2002年3月に撮影したものからいくつかピックアップしてみた。
まだ2次職もなければカードの効果も未実装だった頃の懐かしい思い出。